Archive for the ‘ひ’ Category

非常に久しぶりな軽井沢の碑、第10回は

『杉浦翠子の歌碑』

昭和36年翠子の別荘に没後1年後、夫 杉浦非水によって建立された碑で
平成11年歴史民俗資料館玄関脇に移設されました。

軽井沢歴史民俗資料館軽井沢町の歴史民俗資料館
この階段を上った先が資料館の入り口です

軽井沢杉浦翠子歌碑資料館の入り口のすぐ横です

軽井沢杉浦翠子歌碑あめつちに おのれさびしと おもふとき
浅間はもゆる 陽のいりぎはを

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軽井沢の碑、約1年ぶりの第9回は

『皇后陛下御歌碑』

軽井沢 皇后陛下御歌碑中軽井沢にある軽井沢病院の駐車場に
平成15年に建立された碑です

軽井沢 皇后陛下御歌碑かの町の 野にもとめ見し 夕すげの 月の色して 咲きゐたりしが

軽井沢 碑皇后陛下が平成14年にお詠みになった御歌で
「かの町」とは軽井沢町のことであり以前お訪ねになった野で
ご覧になった夕すげの花は月の色をして咲いていた、と
軽井沢と夕すげを懐かしんでお詠みになりました。

皇后陛下がこのように軽井沢町を思っていてくださることに
心から感謝申し上げ記念碑を建立する。

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軽井沢の碑、第8回は

『北原白秋詩碑』

北原白秋詩碑トンボの湯からハルニレテラスに通じる道の途中に
軽井沢町は昭和44年自然石の大岩を使った詩碑を建立しました

白秋の碑には、この地を滞在中、朝夕に落葉松の林を散策して生まれた白秋の名作
「落葉松」の詩、活字体の全文と自筆の第8節が刻んであります

軽井沢 落葉松落葉松
一、からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き
  からまつはさびしかりけり、たびゆくはさびしかりけり

8節までありますが
長くなってしまうので省略です

軽井沢 北原白秋世の中よあはれなりけり 常なけどうれしかりけり
山川に山がはの音 からまつにからまつのかぜ(自筆の8節)

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軽井沢の碑、第7回は

『正宗白鳥詩碑』

この碑は旧軽井沢の二手橋を過ぎて左に曲がり
400m程先を右に入っていた
ひっそりとした別荘地内にあります

軽井沢 詩碑この碑は、こよなく軽井沢を愛し、ここに居住した文士のひとりである
正宗白鳥が日常愛唱したギリシャの詩を、自筆で描き刻まれています。
また、この文学碑に使用した黒みかげ石は遠くスウェーデンから
取り寄せ、碑の台下には故人愛用の万年筆が埋められています
碑は東京工業大学教授谷口吉郎氏の設計により建立されました

軽井沢 正宗白鳥詩碑花さうび 花のいのちは いく年ぞ 時過ぎてたづぬれば
花はなく あるはただ いばらのみ

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軽井沢の碑、第6回目は

『万葉集歌碑』

碓氷峠見晴台にあります

軽井沢 万葉集歌碑わが国最古の歌集である万葉集に、碓氷峠の歌が二首のっています。
その歌二首の歌碑は碓氷の自然石を使ってしょうわ42年に建立され
表面には読みやすいように現代語で刻まれています

軽井沢 万葉集歌碑日の暮に うすいの山を こゆる日は せなのが袖も さやにふらしつ
(巻14)よみ人知らず

ひなくもり うすいの坂を こえしだに いもが恋しく わすらえぬかも
(巻20)他田部子磐前

軽井沢 浅間山この碑がある見晴台からの浅間山。絶景です

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軽井沢の碑、第5回目は

『中西悟堂歌碑』

中西悟堂は、野鳥研究家として自然保護運動を続け
「日本野鳥の会」を創設した詩人であり歌人

中軽井沢 野鳥の森入り口詩碑は昭和54年、胸像は61年に野鳥の森入り口に建立されました
ここは星のやの入り口でもあります

中軽井沢 中西悟堂詩碑自筆の詩「ここぞたかはら」の全文が刻まれた歌碑と
肩に小鳥がとまっている中西悟堂の胸像

ここぞたかはら「ここぞたかはら」の全文が刻まれていますが
ごめんなさい。読めませんでした

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久しぶりの
軽井沢の碑、第4回目は

『芭蕉句碑』

旧軽井沢 芭蕉句碑旧軽井沢銀座の奥、つるや旅館さんから
少し行った場所に建っています

旧軽井沢 芭蕉句碑馬をさへ ながむる 雪の あした哉

松尾芭蕉(1644~1694)
「野ざらし紀行」(甲子吟行)中の一句。
前書に「旅人を見る」とある。
雪のふりしきる朝方、往来を眺めていると、多くの旅人がさまざまな風をして通っていく。
人ばかりではない、駄馬などふだんとちがって面白い格好で通っていくよの意。
(飯野哲二編 「芭蕉辞典」による)

碑は、天保14年(1843年)当地の俳人 小林玉蓬によって
芭蕉翁150回忌に建てられたものである

ちなみに・・・
この句は、軽井沢でなく熱田で詠まれたものらしいです
さらには、「野ざらし紀行」の時には軽井沢も通っていないようです
(「更科紀行」の時には軽井沢にも ちゃーんと来ています)

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軽井沢の碑、第3回目は

『有島武郎終焉の地碑』

軽井沢 有島武郎終焉の地碑旧軽井沢の三笠で
ひっそりとした細い小道を登って行くと

軽井沢 有島武郎終焉の地有島武郎と波多野秋子が心中した場所に
この碑が建っています
当時、非常にセンセーショナルだったことでしょう

有島武郎終焉の地碑昭和28年、有島終焉の地 “浄月庵”跡にこの碑が建てられました。
浄月庵とは、旧三笠ホテル近く有島武郎の別荘があったところで
大正12年6月9日、この別荘で愛人波多野秋子と共に自ら生命を絶ったのでした
有島生馬(武郎の弟)の筆により次の詩文が刻まれています。

 大いなる可能性 エラン・ヴィタル(生命の飛躍の意) 社会の心臓
 さういう君は 死んじゃった!運命の奴め 凄い事を しやがったな!
 
この碑の他に、「チルダへの友情の碑」が英文で同地にあります
(チルダは武郎がスイスに旅行したときの友人。チルダへ送った手紙の一節が刻まれています)

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軽井沢の碑、第2回目は

『中村草田男句碑』

月刊句誌「萬緑」を主催した中村草田男さんの句碑は
聖パウロ カトリック教会の裏側にあります

中村草田男句碑八月も落葉松淡し小會堂(ハチガツモ カラマツアワシ ショウチャペル)

軽井沢 聖母子像表は伊藤博敏さん(石を素材にした造形作家)の手による聖母子像のレリーフ

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「道シリーズ」に続き、「軽井沢の碑シリーズ」です
どちらのシリーズも不定期に更新していきます
(↑ネタがない時?)

さて、この軽井沢の碑シリーズの第1回は

旧軽井沢の二手橋の先を左に曲がった
矢ヶ崎川沿いにある

『犀星文学碑』

旧軽井沢 犀星文学碑我は張り詰めたる氷を愛す
斯る切なき思ひを愛す
我はそれらの輝きを見たり
斯る花にあらざる花を愛す
我は氷の奥にあるものに同感す
我はつねに卑小なる人生に住めり
その人生の荒涼の中に呻吟せり
さればこそ張り詰めたる氷を愛す
斯るなき思ひを愛す

「かげろふ日記遺文」で野間文芸賞を受賞した記念として
昭和36年、室生犀星 自らが建立した詩碑です
ちなみにこの詩は「切なき思ひぞ知る」

この文学碑の横には

軽井沢 文学碑傭人像2体
室生犀星が中国旅行の際に買い求めたものだそうです


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